昭和50年12月20日 朝の御理解
御理解 第50節
「とかく信心は地を肥せ。常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば肥をせんでも一人でに物が出来るようなものぞ。」
昨日吉井の波多野さん所の御主人の亡くなられてから三十年に、まあ三十年の式年祭が行なわれました。本当に思いを込めた丁重な、お祭りでした。親戚の方達も子供さん方が皆夫婦で見えられましたが、まあ色々教えられる事が御座いました。神様に私はその事をお礼申さして頂いとりましたら、丁度神様が今霊の状態霊様の様子を例えて言うとこの様な状態と言う意味でしょう。
優雅なお家で御薄を頂いて居られると言うのです。まあ一応お薄など頂かれて一服しておられるのですから、まあ霊様ながらに優雅な生活が出来て居られると言う事と私は思いました。それで丁度霊様のお祭りそのものはまあ言うならば霊様を中心にというか、波多野さん所を中心に、ささやかな茶会を開いて居られると言う様な状態でした。集まって来る者は皆正装又はそれに準じた服装でしかも素晴らしいたたずまいの所に集まって茶会をなさって居られる。
もうそれは日々頂いて居られるお茶ですけど、只お茶が素晴らしいと言うのではなくて、その茶席の雰囲気と言うか、集まって来る人達の心豊かな情操と言うか、所謂云うなら気分の良いお茶が美味しいと言うだけではない。お菓子が旨いというだけではない。その雰囲気が素晴らしい。今日のお祭りはそういうお祭りでした。と言うてお祭りが済んでお伝えさして頂いた事ですが。
本当に今日の御理解を頂いて、とかく信心は地を肥せ。地を肥しておけば一人でにものが出来る様なものということと本当に感じる様なお祭りでした二十七、八年所謂椛目が始まって以来、吉井から熊谷さんと二人でお参りが続いたんですけど二十七、八年間のもうそれこそ日参のおかげを頂かれて、引き上げて帰って来てもう大変などん底の中に。子供さんがまだ小さくて息子さんが三人、娘さんが二人もう本当に子供を抱えて大変、しかも女手一つでね、昨日見えて居られた御親戚の方達はとても良いのです。
素晴らしいお家の方達ばっかりです。けれども本当に愈々引き上げて帰って来たからと云うて、昨日もその話を一寸親戚の方からその話が出て居りましたけれども、本当にあの当時私共の母達も田圃も大体物持ちの方達ですから、田圃取られて仕舞ってもう自分達自身が困っておる時だから、もう何もお世話出来んな只見守るより外無かったんですけれども、あの時分に波多野さんの苦労は大変な事だった。
それがようもここまでこの様におかげ頂きなさったもんだと言うて、親戚中で話とりますと云う話があっていました、と言う様にその何と言うでしょうかね、子供達が五人が五人皆、今年で一番下ののり子さんが佐賀の方に嫁入っとりますが、その人がこの頃新築が出来ましてね、家移りが出来たばっかしの所、とにかく皆御普請が出来たんです。子供さん達の自分の家も一番下の弟さんに懸かっておられますが。
たいして大きなお家じゃないでしょうけれども、大変優雅なこじんまりした本当に勿体ない親子四、五人では勿体ないと言われる御普請が二、三年前に出来ておりますしね、それがもう揃いも揃って皆がおかげを頂いて居ると言うその事実がね。成程信心はとかく地を肥せ、地を肥して居れば一人でにものが出来る様なものと云うそれが如実に表して居る姿だと私は思いました。そりゃ子供達が集まっておりますから、お祭りなんかもそりゃ本当に素晴らしいお祭りでした。
東京の方に行っておりますそれが、見える筈だったけれども見えなかったから。それこそ親子同盟で御祈念の事もいうて居りますが、霊様も何時から親先生に御祭主で奉仕して頂いて居るから、その時にそちらから遥拝する様に言うて電話で連絡取合ってからお祭りにおいでなさいました。勿論親の霊様ですから子供達が一生懸命になる筈だし、また真心を込める筈ですけど、仲々実際出来る事じゃない。
一人位は屑が居ったり、一人位は心配させるのがおったり、それが本当に揃いもそろって、今年は皆その家まで建て直したり、新しいふしんが出来たりして出来たと言うおかげの中で皆さんご承知の様に、それこそ日々をもうそれこそ二十七、八年間日参をし続けられた。いろんなそれこそ仕事を、販売りに回る様な事をなさったり、又は、どこどこの会社に勤められたり、いろんな仕事をなさったり、そりゃ随分なやっぱり難儀な事であった。苦労であった。
が今日ではそして本当に、まあ安気安堵と言う事はありませんでしょうけれども、自分の好きな事が出来て、そして霊様のそれに頂いたと言う訳じゃありませんですけど、もう実に優雅な生活をされる様に、恵まれておられる。昨日後を見ております祐三さんの奥さんのお父さん、大和さんの仲人でもう子供さんがこの頃と言うかもう誕生近い子供が一人おります。そちらのお父さんも見えとりましたが、もう本当にそのあちらの家庭を褒めちぎられますですね。そのお父さんと言うのがとっても素晴らしいお父さん。
本当に家の娘の様な者が本当にあの様に親子仲のよい家に、貰て貰うてと言う事を本当に喜んで、昨日お話ここであった結婚式も素晴らしい事にも驚きましたが、又御先祖の霊祭りをこの様に手篤うされると言う事も言わば御親戚になられて初めての事ですから、もう只々驚いた。仏教で只形式的に行われる様に、思うとって来ましたが、それこそとてもとても衿を正さにゃおられない程しの、御霊祭りに合わせて頂いたと言うて。えらい感心して居られました。
雰囲気が素晴らしい、そういう様に御自身でも矢張り仲々優雅な、俳句を勉強されたり、お茶やら花やら稽古をされたり小さいお家ですけど。こちらの部屋に座って二部屋三部屋、向うの方はささやかなお庭が出来たそうですが、本当にそのお庭を眺めさせて頂ながらお茶を頂きながら本当にまあささやかな事だけれども優雅な生活が出来て居る事を嬉しい有難いと云うて何時もお届けがあります。
私はそのお祭りを済まして御直会を頂いて、それからすぐ休ませて頂きました。そしたらそのお夢の中にです、やっぱり霊祭の事を頂いとるんです。言うならば一人でに物が出来る様な素晴らしいおかげを頂いた。けれども是から是が、段々愈々おかげがおかげの花が咲いて、又おかげが実って、言うなら段々おかげを頂いて行く事の為に、言わば勢を揃えた信心が出来ねばならんけれども、私はこの事をお夢の中に頂いてですね。
あれは私はテレビで飯塚オートバイの、あれは競輪の様なものでしょうかね、あれは様な状態と、それこそもう羽衣に出て来ます、天人が舞を舞い舞い天上して行くあんな感じで、綺麗な女性の人の様々な姿態と言うか、それをまあ頂いたんですけど、子供達がね、この二つの事に関わり合わず、これに魂を奪われる事が無い限りは、繁盛に繁盛のおかげが受けられると言うお知らせを頂きました。
私の生き方の中に、例えば競輪とか競馬とか賭事です、でも御の字を付けてすれば良いと云う様に、皆が早とちりをする感じがありますがけれども、これは矢張り気感に叶わないもの。何故って霊を奪われるからです。もう何事でも程々に霊を奪われない、言わば生き方でなからねばいけんのですけれども、これが対女性関係であるとか、女に呆けるとか、又は賭事に仕事も呆気て仕舞う様に。
在り方にそう言う事になりさえせねば素晴らしい。だから言うならばお互いがです、信心さして頂いてこの様におかげを頂いて、それこそ地を肥す事心を肥やす事を第一として信心の稽古をして居るのですから、必ずやその波多野さんじゃないけれども、一人でに物が出来る様になって来るでしょう。所がその出来たおかげに虫を付かす様な事をしてはならないと言う事で御座います。
その二つの一番大きな虫がです賭事と色事です。しかもそれが程々ならばまだしもの事だけれども、魂を奪われる様になったらだ駄目です。そりゃもう合楽も随分その例がありますよ。それを如何に御の字を付けてそれが出来たと言うてもです、矢張りそれが出来た花なら花に、野菜なら野菜に虫が付く様なものだと思うです。それは魂を奪われるからだと云うお夢の中にその事を頂いてね、是は本当によくよく信心さして頂く者心掛けさせて頂かねばならない事だと思いました。
これがね矢張り一つの病的なものになるですから、ですからそういう意味でです、その波多野さんのところの子供さん達は本当に素晴らしいです。そういう意味では矢張り子供の時から苦労しておるからです、けれどもです、そういう危な気が全然ない感じです、子供達は。ですからけれども人間の事ですから、なら一つの誘惑と申しますかね、その誘惑にかかりさえしなければ。
愈々一人でに物が出来た上にも出来ていく、言うならば子孫繁盛、家繁盛に迄継ながっていくおかげになるでしょう。けれども魂を奪われるような、言うならば遊びと言った様な事は心しなければいけないぞと云うお知らせを頂いて、まだそこん所だけはまだ、そのお祭りの後でございましたから、波多野方にその事をまだ聞いて頂いて無かったけれど。是はそうだけれども。
あそこの息子さんに限って、この心配は無かろう様に感じられる事で御座いましたが、そして今日の御理解ですからお互いどうでもひとつ、一人でに物が出来る様なおかげも頂きたい。そして頂いたそのおかげに、虫を付かせない様な信心も尚続けて行きたい。今日はそこの所を、何時もとかく信心は地を肥せと言う所を、焦点を置いて聞いて頂くのですけど、地を肥してひとりでに物が出来る様なおかげを頂いて、その後の事を今日は聞いて頂いたですね。
どうぞ。